2018年1月16日火曜日

野木城





場所 栃木県下都賀郡野木町野木

築城年数 不明

築城者 不明


野木宮城という別名を持っている謎の城、野木城です。

グーグルナビでも野木城跡で案内してくれるので簡単にいけると思います。車であれば、『はくうんの木公園』に『水辺の学校駐車場』がありますので、そちらを利用させてもらうとよいでしょう。

そして、野木城の案内版は城跡ではなく『はくうんの木公園』にありますので見逃さないように!


案内板によると、調査の結果、中島・馬場西・馬場費東・堀切の古地名を確認できることから中世城館跡の存在を推定するのにとるに足るそうですが、耕地の開発による地形改変が著しく、現在では中世城館跡としての明確な遺構が認めることができない。とあり、文献にも野木城主を野木氏とするものがあるが、この地を直接示した訳ではない。さらには、『日光道中記』に清六山(※見取図参照)に古城跡がみとめられ、『小山の臣』が存在したことが伝えられるが、野木城を示している証拠がなく、清六山にあった全く別の城を示している可能性そうで、存在そのもが謎であり、実際に城跡なのでろうか?

私的にみても、立地がとても魅力的で築城したくなるので古地名が示す通り中世城館跡であると思うが、明確な証拠が欲しいところです。



写真館


見取図

水辺の学校案内板
この奥、野木城跡看板

主各部か?

稲荷谷入り口

はくうんの木公園

公園にある野木城説明版

MAP


訪問日 2018.01.16

2018年1月15日月曜日

大舘館




場所 群馬県太田市大館1474

築城年数 ?

築城者 ?


大舘(おおたち)の名が歴史に登場するのは、仁安3年(1168年)新田義重の子、らいおうごせん(徳川義季)とその母に所領を譲り渡す約束をした新田義重置文に記されているという。しかし実際には、らいおうごせんとその母には譲渡されておらず、新田宗家に伝えられたと考えら、義重の子孫である家氏がこの地に住み大舘氏の祖になったという。

太平記によれば、新田義重による生品神社の挙兵に際し、義重に従軍一族筆頭は大舘宗氏(家氏の子)と、その子幸氏、氏明であったという。宗氏は鎌倉攻めで戦死、氏明は新田義貞亡き後も脇屋義助(新田義貞の弟)と共に四国の地で活躍するが戦死している。

遺構は耕地整理により皆無、畑の中にポツリと小さな神社があるのみです。案内板によると、ここは古くから窯跡だったと伝わっているらしく、この場所を中心に御堀、鍛冶屋、馬場、御蔵という地名が往時を偲ばせるといいます。



大舘館から徒歩5分ほどの地に東楊寺があります。東楊寺には、津軽藩代官足立氏の墓があります。津軽藩が関が原の戦いの戦功で得た飛地2千石が上州八か村にあり、その中心にある大館村に陣屋が置かれ代官として足立氏が管制していたためです。

一説には、石田三成の娘といわれる大舘御前といわれた辰姫も東楊寺に眠り、大舘の地で生まれた信義は津軽三代藩主となっています。

尾島のねぷた祭が開催されるのも、このような歴史の繋がりがあるからです。


写真館


大舘館を遠景から撮影


東楊寺

東楊寺の説明版

足立氏と辰姫の墓


尾島ねぷたまつり

MAP




訪問日 2017.06.16




2018年1月13日土曜日

犬飼城




場所 栃木県宇都宮市上欠町

築城年数 康暦元年(1379)

築城者 小山義政?

犬飼城は別名根古谷城という。

位置的にはうつのみや遺跡の広場の南側に位置しますので、ナビはうつのみや遺跡広場で近くまでいけます。自分は川沿いの空き地に駐車して城攻めをしました。

築城者についてですが、明治時代に書かれた『姿川村誌』によると、康暦(こうりゃく)元年(1379年)に小山義政によって祇園城の支城として築城され、1570年~1573年の間に北条氏政に攻められ敗北、その後、元亀(げんき)4年(1573年)に犬飼康吉が城主となりますが、宇都宮勢に攻められ廃城となったと伝えられているそうです。

しかし、時代的、立地的に小山義政が支城を築くのは難しいのではないか?という疑問があり、幾つかの本を読んで見ると小山義政築城説に異を唱える本がもあり、共感したので築城者は?としました。

その本によると小山氏の支城というより、宇都宮氏の軍事的な城ではないかと言ってます。

遺構についても、曲輪・土塁・横堀・井戸跡など良好に残っています。

平成28年2月15日~2月21日の期間に『姿川の中世 三つの城より~横田城・犬飼城・樋口城』という企画展がありましたので、以前よりかなり見学しやすくなっているはずです。

写真館


鳥瞰図

遺跡むら資料館にある模型

航空写真

MAP



見学日 2018.01.04

2018年1月11日木曜日

足利政氏館





場所 埼玉県久喜市本町7丁目2-18

築城年数 永正15年(1518年)

築城者 足利政氏

埼玉県久喜市にある甘棠院が足利政氏館で、政氏の墓や古河公方の貴重な資料が納められているそうです。居館として機能していた時期は短い様子。

別名に久喜の館というらしいが久喜の館がほ本来の名称なのかもしれない。

さらっと歴史を...
二代古河公方足利政氏は、永正3年(1506年)に古河公方内の権力争いにより、嫡男・高基と対立してしまいます。一時和解しますが永正7年(1510年)には、梁田氏、宇都宮氏に支持された高基と対立し敗れてしまいます。政氏は次男・義明とも対立しており、義明は下総国小弓城(現在の千葉県千葉市)を居所とし、小弓公方として独立すると古河公方の正当な後継者を主張し、兄高基と対立しています。

争いの末、政氏は古河城を明け渡し、下野国祇園城主小山氏を頼り落ち延びると高基と不利な形で和議を結び公方の位を譲ることになります。小山氏の庇護も受けられなくなると、岩槻城などを転々とした後、武蔵国久喜の館に移り隠居しました。

永正16年(1519年)に政氏が開いた寺院が甘棠院です。永正17年(1520年)には古河城を訪れ高基と対面、和解しています。享禄4年(1531年)に久喜の地で没した。

写真館

石碑と甘棠院の解説版

二つ引き家紋

山門です。

山門前の堀は見事!

堀を散歩したくなります...

中雀門と足利政氏館解説版

本堂


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訪問日 2017.12.30

2018年1月9日火曜日

久喜陣屋





場所 埼玉県久喜市久喜中央4

築城年数 貞享元年(1684年)

築城者 米津正武

こちらも『発見!ニッポン城めぐり』で遊んでいて見つけたました。久喜中央公民館の隣にある御陣山児童遊園から道を挟んだ天王院までが、久喜陣屋跡だと伝えられています。

歴史をさらっと...
天正18年(1590年)徳川家康が江戸に入封されるとの譜代の家臣である米津田政は武蔵を始めとする5郡に5千石を領しました。子・田盛は大阪定番となり1万石加増され、1万五千石の大名として列することになります。田盛の子・政武は弟の田賢に3千石を分地し武蔵、下総、摂津、河内1万2千石領するが、その後武蔵、上総、下総、常陸国内11郡に領地替えとなった際に政武は居所を久喜に定め貞享元年(1684年)に陣屋を構え久喜藩が立藩することになる。

しかし、5代藩主・通政の代に武蔵国の領地が出羽村山郡に領地替えとなったので、陣屋を出羽長瀞に移したため、久喜藩は廃藩となり米津氏5代115年の歴史に幕を下ろすことになります。

お城探索中にお孫さんを連れた初老の男性が教えてくれたのだが、こんもりお山は首塚だったらしいです。お山のてっぺんに祠が祭られているのはその為か?

首塚の祠

首塚の下部にある石碑と供養塔

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訪問日 2017.12.30

2018年1月7日日曜日

壬生城





場所 栃木県下都賀郡壬生町本丸一丁目

築城年数 1462年

築城者 壬生胤業

別名 馬蹄城

2017年2月に『東京新宿発 城廻紀行 MARO参上』の管理人さんであるmaro君と城廻した際に訪問しましたが、当時すっかりサイト更新をしていなかったので、今一度城攻めしてきました。

壬生城は、室町時代に京都の公家である壬生胤業がこの地に館を建て移り住み、二代・綱重の時代の文明年間(1469~1486年)の間に現在の地に築城したと言われています。
※壬生氏は宇都宮氏の分家という説もあり、こちらが有力であるらしい。

宇都宮氏の家臣として台頭しするも、戦国期に独立化、後北条氏に与し宇都宮氏と戦っていますが、天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐により、後北条氏に与していた壬生氏は5代で滅亡、領地は徳川家康の次男・結城秀康に引き継がれ一時廃城となりますが、関が原の戦い後の慶長6年(1601年)に日根野吉明が1万石で入城。その後、110年間は阿部氏、三浦氏、松平氏、加藤氏とたびたび城主が変わりますが、正徳2年(1712年)に鳥居忠英が入封。明治維新まで7代にわたり鳥居氏が城主を務めました。

江戸時代の文献によれば城は、本丸・二の丸・三の丸を同心円に配し、東郭(東側)・下台惣郭(南側)・正念時寺郭(北側)の6つの郭からなり、土塁と堀で囲まれていたようです。天守や櫓はなかったそうですが、東郭に櫓台を築く願いは出されていて、櫓台跡が現在も残されていますが、検察された記録、絵図が無い為、実際に建設までは至らなかったようです。

本丸には御殿が建設され徳川将軍家の日光参拝時の宿舎として利用されていました。

現在は城址公園となり、図書館・文化会館・歴史資料館などが併設されている町民の憩いの場となっています。歴史資料館にある壬生城模型は立派で感激すること間違いなし!(笑)
※館内写真撮影不可の為、掲載できませんが検索するとヒットしますのでご確認あれ!


写真館




改修前の堀跡




吾妻古墳の石室 天井石

櫓台跡 規模は縮小され、2m低くなっている。

東郭跡にある櫓台説明版

 MAP




訪問日 2018.01.03

2018年1月6日土曜日

天神島城





場所 埼玉県幸手市天神島279

築城年数 不明

築城者 一色氏

幸手城から約2kmほど離れた天神神社の周辺が城跡だということです。幸手城が期待に反して肩透かしだったので、この城跡も全く期待していなかったのですが、なかなかどうして、私にも分かる遺構が残っているのが嬉しかった。

解説版によると、土塁、堀が残っているそうだ。

幸手城の支城の一つで、戦国時代に一色氏によって築かれたようですが、北条氏康が古河公方足利義氏勢力下に攻め込んだ際に落城しています。

義氏没後に幸手城の当主が隠居した城であるともいう。

写真館


堀跡らしい。

天満宮の近くをながれる松倉川は水堀?

解説版

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訪問日 2017.12.30