2013年1月28日月曜日

忍城



私が城跡というものを見て初めて感動したのは、この忍城を20代に見た時だと思います。今回で、4回目の訪問でございます。この城は、関東七名城の一つ、それと北武蔵城物語3城の一つに含まれています。それと、もちろん『のぼうの城』の舞台となった城でもあります。

さて、忍城について
1478年(文明10年)の頃、成田顕泰により築城された『守り易く攻めにくい』難攻不落の名城であったと伝えられている。
1590年(天正18年)豊臣秀吉の関東平定の中で戦われた石田三成による忍城水攻めにも『忍の浮城』とも称されたという。関東平定戦の中で、唯一落なかった城でもある。
1639年(寛永16年)時の老中、阿部忠秋が入城し忍城大改築に着手、孫の正武の代にいたり忍城御三階櫓の建設、城門・土塀の改築などが完成し面目を一新したという。
1833年(文政6年)伊勢の桑名から松平忠堯が移封し忠誠のとき明治維新を迎えた。
現在は、維新後に取り壊されていた城郭の面影を再建した形となっている。
 



『忍城の鐘』
1823年(文政6年)に伊勢桑名城から忍城に移った松平氏が、1764年(宝暦14年)に桑名で鋳造したもの。転封に伴い、忍城に移されたという。


『忍城櫓の石垣』
場内にあった櫓に使用された石垣。1702年(元禄15年)に三階櫓一棟、二階櫓二棟が建てられたが1873年(明治6年)の廃城により解体された。


『城内』



『伝進修館表門』
この門は、行田市城西の芳川家表門を移築・復元したもので、かつて藩校『進修館』の表門であったと伝えられている門。戦災によって一度移築されている事などから『進修館』の門であるかは確定していませんが、現存する行田市唯一の武家屋の敷表門として歴史的建造物であると言える。


『城外』



『本丸』 『本丸土塁』
本丸は、第二駐車場に石碑が建っています。本丸土塁は、本丸西側を囲む土塁で旧状をよく残す南に二の丸、西に土蔵曲輪と橋で結ばれていたということです。


『歴史資料館』
休館日が意外に多いと思いました。こちらで、このお城が落なかったという事で、受験生向けに絶対に落ないお守りを販売しているそうです。大人気だとか?孫のために、電車を乗り継いで、ここまでお守りを買いにいらっしゃる老夫婦もいらっしゃいました。しかし、休館日・・・愕然としていると、親切な近所の方が市役所の観光課でも販売していると教えてあげて、休館日でごめんなさい。と謝っていました。掲示板等があるんですから、お知らせでも貼ってあげたら良いと思うのですが・・・
それに、意外と『のぼうの城』を観ろ観ろいう割には、不親切な対応が多いと地元の方からの声が多かったです。遠方からいらっしゃる人が可哀想で・・・と2人の地元の方に言われました。

行田市さん!頑張ってください。忍城おもてなし隊なんて、どーだっていいのよ!!しっかりせんかい!!と怒っておきます!



★城跡は、ここだ!★
埼玉県行田市


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★おまけ★
ぜひ、ゼリーとゼリーフライを食べましょう! 
行田市/フライ・ゼリーMAP ←クリック♪

それと、このような銅人形が沢山飾られているので、コンプリートしてみましょう!
城の方は、銅じゃないかな?



訪問日 2013.01.28


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