2013年2月11日月曜日

小泉城跡



 以前、お勤めしていた職場の近くの公園がお城跡でビックリしました。城跡には、小泉城復元図(小泉城から城之内公園へ)が置いてあり、結構質の良い紙を使用しています。
大概、ご自由にお持ちください。とあっても、何もないじゃん!ってパターンが多いですが、ここには大量に置かれていいました。

小泉城跡について
別名・小泉冨岡城という。下総結城氏(茨城県)の血筋を引く結城氏朝の弟、高朝の子が『冨岡主税介直光』と名を変え、1489年(延徳元年)に築城しとことに始まると伝えられている。

以 後、1590年(天正18年)まで、富岡六代、約100年の間、古河公方、上杉謙信、小田原北条氏に属し東毛の重要な拠点であったが、豊臣秀吉の小田原征 伐により、六代秀長が北条方についたため、秀吉の家臣で浅野長政、前田利家の軍勢に攻められ、小田原北条氏と滅亡ともに開城を余儀なくされ、冨岡六代にわ たる栄華の歴史に幕を閉じた。

城郭の形態は囲郭式平城で、小田原北条氏傘下に入ってから改築されたと思われる。

城の縄張り全体は、ほぼ台形で北東1,100m、南西700m、面積は約58haの規模を持ち、東京ドームのおよそ12倍の大きさである。そして、本丸、二の丸を取り囲む北の丸、西の丸等の堀は最大幅約32m、最小5mである。

また、堀が途切れたり極度に狭くなっている部分が3箇所認められ、東堀中央付近には、『門橋』という地名が残り城の大手門の存在を認めることができる。なお、北堀、南堀については堀り残しが認められ出入口施設が考えられ、特に南堀には馬出しがあった。


『二の丸』


『本丸』
本丸は広場になっていて、小泉城跡の石碑もあります。


『西の丸』
現在、中学校となっていますが、土塁は以前からのものか?


『北の丸』
百庚申、聡明地蔵、古墳など敷地内にあります。





『城の周り』




★城跡はココだ!★
群馬県邑楽郡大泉町城之内2丁目24


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訪問日 2013.02.10

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