2013年2月17日日曜日

芦野陣屋




芦野陣屋について
1590年(天正18年)豊臣秀吉の小田原征伐には、大田原や大関ら那須衆と共に、那須氏に従わず豊臣方についたため所領は安堵された。

その後の関ヶ原の合戦では徳川方について戦功をあげ、芦野3千16石の旗本として存続することができた。江戸時代、芦野氏は中世以来の名族と認められ、正式な格式は交代寄合旗本であったが、参勤交代は隔年ごとに行い、江戸城中では、外様大名並みの柳の間詰とされた。

芦野陣屋は、芦野城二の曲輪を中心としている。芦野城には、二の曲輪の北側に一の曲輪とこれに続く4つの曲輪があったが、江戸時代には使用されていなかった。


芦野陣屋写真館

『陣屋敷地内』
  


『芦野陣屋裏門遺構』
旧街道沿いの民家に移築保存されています。裏門の位置は陣屋地北西隅の本丸切岸と接する場所であったとされる。門の保存状態は良好です。


『歴史探訪館付近』
右、歴史探訪館の正門は、芦野陣屋裏門を改築以前の外観に再現したものある。
左、土橋門址付近と布積み石


『大手筋平久江家門構え』
最近までは、大手筋沿いに屋敷が数件残っていたそうだが、現在はこの老朽化した武家屋敷門が一棟残っているのみとなってしまいました。












★陣屋跡はココだ!★
 栃木県那須郡那須町芦野

芦野城址と同じです!


古のロマンを感じた度 芦野温泉に浸かりつつ探索もいいんでないかい? 80点


訪問日 2013.02.15


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