2013年2月18日月曜日

伊王野氏居館



今日は眠いので、ちゃちゃっとブログ書けそうな伊王野氏の居館を書こうと思います。明日は、伊王野城を書こうと思ってます。お城ストックが沢山あり過ぎて分からなくなってきてます。更に日々増える城址、外回りのお仕事ですと、結構、城址見つけてしまうのです。

伊王野氏居館跡は、伊王野小学校そのものでございます。

伊王野氏居館について 
鎌倉初期(約800年前)、那須頼資の次男・伊王野資長がこの地に分地されて築いたものとされています。ここに居館があったのは、室町時代の1487年(長享元年)の後背地の山城に移るまでの約300年間とさらに下って江戸時代1627年(寛永4年9から1633年(同10年)の6年間でした。

この館は伊王野谷の最も広いところに位置し、当時の主街道の一つ東山道沿いにありました。その形状は、背後に流れる根岸川を利用して四方に堀を巡らし、その揚土で土塁を築き、回字形プランを持つ中世居館の典型的なものです。

居館の大きさは、東西約110m、南北約126m、面積約1.5haで当時の居館としては大きい方に属すそうです。
※説明板参照






★居館跡はココだ!★
 栃木県那須郡那須町伊王野1542




★おまけ★ 
伊王野氏の居館の近くに、長源寺があります。こちらは、伊王野氏18代・資直の中興開基となり、それ以来伊王野氏の菩提寺となりました。1633年(寛永10年)の伊王野氏断絶までの領主とその家族の墓があります。
墓が倒れてしまっているのは、震災の影響なのでしょうね。城巡りしていると、震災の影響を受けている事が多々あります。



古のロマンを感じた度 学校そのものが館ってのがイイネ! 70点


訪問日 2013.02.15


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