2013年2月1日金曜日

館林城



徳川四天王の一人・榊原康政、そして、家康の曾孫・5代将軍・徳川綱吉のお城に行ってきましたよ。まぁ、綱吉さんは、館林藩主でありましたが、この城には1度しか立ち寄ってないんですけどね。鳥類憐れみの令の将軍さんです。

館林城について
『城沼』を自然の要害とした平城で、別名『尾曳城』という。
その形態は、城沼を城の東側の外堀とし、この沼に突出する低大地を区切って、城の中心である本丸、二の丸、三の丸、八幡郭、南郭を置き、これを取り囲むように、稲荷郭、外郭、惣曲輪を構え、更にその西方の台地に『城下町』を配置し、そのすべてを土塁と堀によって囲んでいた。

築城時期や築城者については、江戸時代になって書かれたもののなかに、『赤井照光』によって築かれたとするものがり、『狐の尾曳伝説』と相まって広く知られているが、実際には、築城時期や築城者を明確にした当時の記録は発見されていない。

徳川綱吉が将軍となってからは、将軍を排出した徳川宗家に関わる重要な地として、江戸幕府に位置づけられ、最後の城主・秋元氏まで江戸幕府の重鎮を務めた七家の居城として栄えた。

城の建物の大半は1874年(明治7年)に消失したが、現在でも本丸・三の丸、稲荷郭、城下町などの土塁の一部が残されており、三の丸には土橋門が復元されている。

『土橋門』
昭和七年に発掘調査の結果をもとに復元したもので、事前の発掘調査により三基の門の基礎と二基の井戸が発見されている。また、門に合わせて周囲に残る土塁は、三の丸周りを囲う土塁で、江戸時代からのもの。


外から見た門跡



『三の丸庭園』
三の丸内にある庭園、三の丸には、文化会館が建っております。


『二の丸』
二の丸は、赤いレンガの市役所が建っています。それと、二の丸より眺めた本丸付近


『本丸及び八幡宮』
徳川綱吉の時代の絵図には、この地に三層の櫓(天守)が書かれており、二十五万石の城主に相応しい荘厳な城であったことがみてとれる。絵図は、資料館で4枚セットで200円で売ってます。



『八幡宮』
城の中心、本丸のあった場所に八幡宮があります。
八幡神は源氏の氏神で、武家の間で広く信仰され、各地で八幡宮として勧進されている。
以前は、八幡郭にあったそうです。



『八幡郭』
本丸の東側にあって城沼に突き出した一郭で、以前、八幡神が祀られていた事から八幡郭と呼ばれた。現在は、つつじヶ丘第二公園となっていて、菖蒲園があったり秋元邸や田山花袋記念館、などが建っている。



『稲荷郭』
以前、稲荷郭のあったこの地には、田山花袋邸・旧上毛モスリン事務所(工事中)の建物がある。無料で見れますので、たちよりましょ!



資料室では、歴史的な展示物が無料でみれて楽しめますし、物販も満載です。城跡周辺にも、武家屋敷あり~の、お寺あり~の、見るところが沢山ありますよ。


★お城はココだ!★
群馬県館林市城町



大きな地図で見る



★おまけ★
徳川四天王の一人、榊原康政のお墓が館林IC近くの『善導寺』にあります。とても、立派なお墓で見ごたあります。一番高い墓石が康政ものです。




訪問日 2013.02.01


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