伊王野城址について
別名 霞が城
城は、三蔵川、根岸川、奈良川が形成する伊王野谷と芦野谷の分岐点に位置し、奥州への軍事、交通の要所地にある。鎌倉時代に那須家から分地した伊王野氏が1487年(慶亨元年)頃に築城したもので、1627年(寛永4年)の廃城になるまでの約150年間、伊王野氏の居城として使用された。
城域は、伊王野の町並みの北に位置する陵丘の地形を巧みに利用して、北の廓、本丸、二の丸、三の丸を中心に、ぼうの廓や遠見の廓、大手門址などの遺構を含めた、約20haに及ぶ要害の地である。
伊王野城写真館
『伊王野居館址の直ぐ裏手からの城攻め』
伊王野八幡があり、義経伝説の地でもあります。
義経伝説は、249号線場を中心に全部で、14ヶ所ありますので、そちらを探索するのも楽しいと思います。
弘法大師の石像が建ててあります。
『本丸』
こちらも伊王野氏居館址の裏手になります。
『294号線からの城攻め』
車で山頂付近まで行けますのでそちら駐車して、そこから徒歩で三の丸に降りてくる感じです。
城跡に沢山建てられている石像(仏様)です。こちらも、全て巡ってみるのも面白いかと思います。
★城址はココだ!★
栃木県那須郡那須町伊王野
★おまけ★
古の感じた度 流石、那須氏の一族伊王野氏の城!蕎麦うまかったなぁ・・・ 85点
訪問日 2013.02.15
0 件のコメント:
コメントを投稿