2013年2月21日木曜日

飛山城




飛山城について
鎌倉時代後半に芳賀高俊によって築かれたとされる。芳賀氏(清原氏)は、益子氏(紀氏)と共に紀清両党(きせいりょうとう)と呼ばれ、宇都宮氏を支えた武士団です。

 芳賀氏は上野国・越後国の守護代に任じられるなど隆盛したが、戦国時代になると芳賀氏や飛山城も関東平野の覇権争いに例外なく巻き込まれた。1557年(弘治3年)には宇都宮氏や芳賀氏を支援した常陸国の佐竹義昭による宇都宮城奪回作戦(その時期の宇都宮城は壬生城主・壬生綱雄が占領していた)の最前線基地となっている。1590年(天正18年)、関東に台頭していた後北条氏を滅亡させた豊臣秀吉は宇都宮城に入城し関東の支配体制を決定する宇都宮仕置を行う。そこで秀吉は宇都宮氏18万5千石の所領安堵を裁決した一方で、「佐竹・宇都宮ならびに家来のものども、多賀谷・水谷」に対して「いらざる城は破却せよ」との命令を発している。そのため、飛山城も「城破り」の対象として破却され廃城となった。

城の規模は、14haと広大で、東と南側を二重の堀で、西と北側を鬼怒川で守られています。場内は、4号堀によって大きく北と南に分かれる。北側は、更に3本の堀により厳重に守られ、2号堀で囲まれた部分が、本丸部分と考えられている。

南側は小規模な溝により、東西に分けられ、その東側には、兵士詰所や倉庫があったと考えられている。

飛山城写真館


『木橋』
東に伸びる古道と一直線に位置する。この道をおりて行くと、芳賀氏の菩提寺の同慶寺に行くことができます。なお、この木橋を渡った内側に大手門があったと考えられているが、発掘調査では確認できていない。


『枡形』
木橋を渡って攻めてきた敵を攻撃する防御施設


『櫓台』
櫓台があった場所からの景色。
櫓台は、6号掘に5箇所設けられている。ここから、木橋を渡って攻めてきた敵を『横矢掛け』などの攻撃を仕掛けます。城を廃城にする際にこの櫓も取り壊された。


『木橋を渡った先の門』


『4号掘り』


『2号掘り』


『中世竪穴建物』


『掘立建物』

『富士見百景』
天気が良い時は富士山が見れますよ。宇都宮城址も見れます。



★城跡はココだ!★
栃木県宇都宮市竹下町




★おまけ★
飛山城址に隣接する歴史体験館が非常に面白いです。飛山・宇都宮近隣に関する資料などが格安に販売されています。この日は、自分も10冊程資料を購入しました。

飛山城址で、BSーNHKで放映されている『アテルイ』の撮影があったそうです。役者陣のサインも飾られていました。





古のロマンを感じた度 宇都宮の城って凄いよねー 90点


訪問日 2013.01.22

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