2013年2月4日月曜日

小幡陣屋



関東に住んでいると、織田直系の城跡に行くことは出来ないなぁ・・・なんて思っていたら、あるじゃないですか!信長の次男・信雄さんが飛び地で甘楽郡に領地を頂いているじゃないですか!って事で行って参りました。

小幡陣屋について
元和元年(1615)、織田信長の次男織田信雄が大和国宇陀郡3万石、上野国甘楽郡2万石の領主となり信雄の四男信良が甘楽郡を受け継ぎ小幡藩主となりました。信良は隣接する福島で政務をとったとされ小幡陣屋が竣工するのは寛永19年(1642)3代信昌の時で出羽高畠(山形県高畠町) に移封するまで7代にわたり織田氏の居城となりました。

信雄は茶人でもあった為、陣屋は戦略的というよりも芸術的要素を強く盛り込んだ構成で大きな池を中心に茶室や築山などを配した回遊式庭園は背後の熊倉山や紅葉山と一体となる借景の手法をとっています。

楽山園という名称は論語の「知者ハ水ヲ楽シミ、仁者 ハ山ヲ楽シム」から名付けられたそうです。楽山園は江戸時代初期の大名庭園が残る貴重なものとして平成12年に国指定名勝に指定されています。

 『陣屋跡』
ここら辺がいわゆる本丸になるのだとのことです。

敷地内にある十九間長屋で小幡藩織田家のムービーが流れていますが、そのムービーは甘楽郡のHPからも観れます。ムービーです。→http://www.town.kanra.gunma.jp/oda_movie.html






井戸は、敷地内に3つありました。全て、井戸に水はあり、枯れてませんでした。



『楽山園』
梅の茶屋からの景色



右、梅の茶屋


左、腰掛け茶屋
全国でも珍しい五角形の形をしている。

右、飛び石は、当時のものを使用しているそうです。



『楽山園の外』
左、食い違い郭
旧陣屋の中小路に面して作られた郭で、戦の時の防衛上に作られたとのことです。
また、下級武士が上級武士に出会うのを避ける為に隠れたと言われている。

右、陣屋前の石垣


左、高橋家 
小幡の武家屋敷の中でも、昔の様子を最も残しているが高橋家の庭園と屋敷です。

右、松平家
幕末、ペリーが浦賀にやってきた時に、将軍が江戸大奥の女官達15~16人を親藩である小幡藩のこの家に疎開させたと伝えられているそうです。



 ★陣屋跡はココだ!★
 群馬県甘楽郡甘楽町大字小幡648-2


大きな地図で見る


★おまけ★
ここまで来たのならば、織田家七代の墓『崇福寺』に行きましょう。
左、信雄さんの墓を始め織田家七代の当主の墓が建てられています。




訪問日 2013.02.03










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