2013年2月6日水曜日

西明寺城



城跡近辺でTOP画に使いたい画像が撮影できなかったので、益子の森にある展望台から城跡がある場所を撮影した画像を使用しました。しかし、西明寺城の大きさには、驚きました。

西明寺城について
西明寺城は日本史に、南朝方の関東六城(常陸国関城・常陸国真壁城・常陸国大宝城・常陸国伊佐城・常陸国中郡城・下野国西明寺城)の一つと紹介されことにより史上名高いものとなった。西明寺城は、六城最北端に位置する城で、紀党益子氏の居城とし、中世城郭としての姿の完全な山城である。

最高所標高318m、比較約200m、山頂を中心として西北南の峰に連続的に多くの廓を配置している同心円状の多郭方式である。郭との連絡口は、くい違い式に人工が加えられ高い廓と低い郭の落差を大きくしている。

益子氏は紀伊姓で、同じく宇都宮氏の家臣の清原姓芳賀氏とともに、紀清両党と呼ばれ鎌倉時代から南北朝時代にかけて宇都宮氏の重臣として活躍した。
天正17年(1589年)益子氏は笠間氏を攻めるなど主家宇都宮氏に叛いたとされ、宇都宮国綱は芳賀高定らと謀って益子氏を誅伐して所領は没収され、益子氏は滅亡したという。

正直、どこがどんな感じか?まだまだ未熟ゆえ分らないので、画像だけUPしておきます。








『西明寺』
西明寺も城の一郭だったとのことです。
閻魔堂は、ぜひに入ってみることをオススメします。閻魔様の迫力は半端ないです。



この城は、国指定にして調査して欲しいと思ったくらいの見事な山城でした。立て看板位では、勿体無いです!西明寺も立派ですので、是非と城の方も整備して欲しいと熱望します。展望台からの、益子町の景色最高です。


★城跡はココだ!★
栃木県芳賀郡益子町大字益子字高館山


大きな地図で見る


★おまけ★
是非とも、益子の森の展望台にも行ってみましょう!景色たまらんです。





訪問日 2013.02.04



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