2013年2月2日土曜日

土浦城



土浦城、別名・亀城(きじょう)と呼ばれている城です。亀というだけあって、夏に行くと城を囲堀の中には亀がいっぱい泳いでいたり、日向ぼっこしたりしていますが、冬のせいか?一匹もいませんでした。

土浦城について
平城で、幾重にも巡らした濠を固めとする水城であった。城は、城跡に指定されている本丸・二の丸を中心に、三の丸・外丸のほか、武家屋敷や町屋を含み、北門・南門・西門を結ぶ濠で囲む総構えの規模を持つ。

江戸時代の建物としては、本丸表門の櫓門・裏門の霞門、二の丸と外丸の間に移建された旧前川門(高麗門)があり、復元された建物としては、東櫓・西櫓がある。

戦国時代には、城主若泉氏、信太氏、菅谷氏と変遷したが、織豊期には結城秀康の支配下に入った。江戸時代の城主は、藤井松平氏、西尾氏、朽木氏、土屋氏、大河内松平氏と変わったが、土屋政直が再び入場して、以後明治維新に至るまで土屋(9万5千石)の居城となった。

現在は、公園として利用されています。

『霞門』


『東櫓』

東門は資料室となっていて、税込105円で中を見学することができます。20人以上の団体さんだと半額です。試しに入って見たのですが、意外と展示物とか楽しいです。105円のチケットで民族資料館も見れますので、お立ち寄りの際は両方見ることをおすすめします。『鯱』も展示してあります。



櫓の2階からの東西南北の景色



『西門』

元和六・七年頃城主西尾氏の時代に本丸土塁上に東西の櫓が建設されたとされた西の櫓で、老朽化と昭和24年のキティ大風により、復元を前提に解体された。長い時間復元はされなかったが、市民の浄銭により復元されたものが今櫓です。


『櫓門』

1656年に改築されたと伝えられ、本丸にある櫓門としては関東地方で唯一現存するもです。階上に太鼓を置き、時を知らせていた事から、太鼓櫓とも呼ばれていました。ちなみに、太鼓も資料室に展示してありました。



『二の丸』『本丸』
左手が二の丸、右手が本丸跡です。






 

★城跡はココだ!★
茨城県土浦市中央1丁目13-48

 
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★おまけ★ 
105円で買える魔法のチケット、東櫓資料館と民俗資料館が利用できます!(団体さん20名以上なら、半額!)で、民俗資料館を覗きましょ!両資料館の方々とても親切ですし、土浦の歴史が学べます。




訪問日 2013.01.17

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