2013年2月7日木曜日

勝山城




勝山城2回目の訪問です。1度目の訪問で無駄に写真をパシャパシャ撮っていたら、後日撮影した画像を見て収集がつかなくなりましたので、再度訪問ってことで・・・

しかし、雪と城(城跡)はよく合います、美しいですね。

さて、勝山城について
勝山城は南北420m、東西370m、鬼怒川の段丘面を天然の要害にした崖端城(がいたんじょう)である。鎌倉末期頃、氏家氏が築き、その後芳賀氏によって強固な防備が完成した。中世下野における、宇都宮一族の北方防衛の拠点であり、戦国時代では那須氏との激戦地となったが、堅牢な城で落城することはなかった。だが、宇都宮氏が1597年(慶長2年)豊臣秀吉の命で改易したのに伴い、あえなく廃城となった。

明治以降の城跡は、特に黒須家が資材を投じて勝山城周辺の土地を購入したことにより、よく遺存されていた。しかし、戦後の開発の波は勝山にも押し寄せ、文化人らによる啓蒙活動や保存運動が続けられたが、ついには本丸も破壊された。
※立て看板参照



勝山から出た氏家氏は有名であり、特に著名な人物では美濃三人衆で知られる氏家卜全がいる。(栃木の城+αの管理人さんに教えていただきました。)

さて、城攻め行きましょう!



『本丸大手口跡』


『櫓台跡』
本丸大手口跡の脇には、櫓台跡があります。櫓台跡から、橋を見てみました。


『本丸土塁跡』 



『本丸跡』


『本丸搦手口跡』



『二の丸南郭跡』
『竜宮城の貸し椀』と『雪姫と紅葉姫』の二つの民話が書かれた石碑が建てられていたり、神社なども建てられています。休憩所もありました。建物跡があるようですが、不明!!






『二の丸東郭跡』
二の丸東郭跡にある二の丸土塁跡、こちらは民家の敷地内になってます。訪問の際は、最高の笑顔と挨拶を♪案内版には、二の丸東郭後にも、櫓台跡があるようなのですが、確認できませんでした。後、建物跡っというものもあるのですけど・・・不明


『二の丸北郭跡』


『北限土塁跡』
黒須菊三郎 ろくちゃんとここを守るの石碑がポツリと建てられています。これは、なにかな?











三の丸郭跡は、民家と化しているようですね。勝山城跡公園の敷地内には、旧森家長屋門、旧大島家住宅、旧手塚家板倉、ミュージアムとまで建てられていますので、城跡以外にも楽しめます。





河川敷にある公園は、広大な敷地と未だに何か開発しているようで、散歩・スポーツするに素晴らしい公園になってます。勝山城跡から見る景色も最高位に美しいです。




広大な敷地に、立派な遺構素晴らしい城跡でした。


★城跡はココだ!★
栃木県さくら市氏家1323


大きな地図で見る



★おまけ★
ご存知だろうか?勝山城にも天守閣が造られていた事実を!!

昭和50年に本丸を中心に娯楽施設が造られていたそうで、その際にシンボル的な意味合いで天守閣を建設し始める。その際に本丸の地盤を掘り下げ、西側土塁を突き崩し、大手口を破壊!昭和54年に経営不振により閉鎖、建設中の天守は、昭和58年まで本丸跡にそのままにされたが、時代にそぐわないという事で解体したそうな。残して活用しよう。という意見もあったそうですが・・・壊して正解!
※近世栃木の城と陣屋参照














訪問日 2013.02.07

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