場所 茨城県土浦市木田余
現在は常磐線により城跡は二分されていますが、本丸のあった中城・北堀・南堀・横堀などの地名が残されているそうです。それと、案内板と本丸跡の石碑が建てられています。
木田余城はもとは城の内という台地にあったというが、信太範宗の時に現在の場所に移されたと言われている。信太氏は小田氏に使えていたが、天文23年(1554)8月(異説あり)の時に、小田氏と不和となった信太範宗は謀殺されてしまい土浦城の属城となってしまいます。
天正6年(1578)に佐竹義重に攻め込まれ落城、義重は徹底的に城郭を破壊した為に木田余城は廃城となった。
写真館
本丸跡の石碑へは、地下道を通って行かねばならず、関係者意外立ち入り禁止の立て看板がるので、いいのかなぁ?と不安になりますが、石碑までは行けるようです。
周りはレンコン畑と化してます。
MAP
訪問日 2013.07.04
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