2013年7月3日水曜日

下館城



場所 茨城県筑西市甲

別名 法螺貝城

私を歴史好きにさせたゲーム『信長の野望』で、北関東の武将の中でかなり使える男!水谷政村(蟠龍斎)の城です。この城、法螺貝城の別名があるのですが、つい先日に訪問してきた皆川城も法螺貝城の別名があるので、なんか、なんか・・・親しみが湧きますね。

下館の歴史は古く、平将門の乱の時に藤原秀郷が乱平定の為に、上館、中舘、下館の三館を築いた場所であると言われていますが定かではないようです。今回訪問した下館城は、文明10年(1478年)に水谷勝氏が結城氏広から下館領を与えられ築城したといいます。

水谷氏は勢力を拡張していき、6代政村の時には5万石を領するまでになるが、政村は弟の勝俊に下館を譲り、自分は久下田城に移った。8代勝隆は備中(岡山県)に転封となり、その後徳川光圀の兄である水戸頼重が5万石の領主として下館を賜るが、3年後に讃岐高松に12万石を賜り下館をさります。以後、度々領主が変わるが、享保17年(1732年)石川総茂が2万石の城主として着任してからは、9代137年間石川家が下館の地を支配し、明治になり廃城に至った。

現在は本丸の一部を残すのみで、遺構などは見られません。歴史があるだけにザンネンです。

写真館 



八幡様
天誅組四天王・渋谷伊予作の顕彰碑

MAP



 訪問日 2013.07.03

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