2013年7月5日金曜日

久下田城



場所 茨城県筑西市樋口

藤原秀郷が平将門討伐の際に建てたという三館の伝承の上館にあたる久下田城。場所は、栃木県真岡市と茨城県筑西市の境目にあたります。ちなみに、この城の城主であらした水谷正村(蟠龍斎)さんの菩提寺は芳全寺は真岡市になります。

下館城城主であった水村正村が宇都宮氏との対立激化の為、天文14年(1545年)に築城、宇都宮氏の来襲に備え下館城は弟・勝俊に預け自ら久下田城に移った。

正村という男なんという猛将!自分は『信長の野望』の正村しかありませんでしたので、北関東の武将では使えるやつくらいなイメージだったんですが、調べれば調べるほど凄い男!戦をすれば負けない、早くから家康と通じていたりと政治力もなかなかで、水谷家は最終的には独立大名となります。(以前は、結城家の家臣であった。)

そんな水村正村の城も元和元年(1615年)の一国一城令により廃城となったと言われている。
現在は茨城県指定の文化財となり二の丸が公園と化しており、久下田城保存会もあるようだが、かなり荒れていてビックリする。堀など非常に見事なだけにホント勿体無いと思います。

写真館 







芳全寺』 

場所 真岡市久下田801

水谷正村が先代の為に建立した芳全寺に正村自身もお眠りになっておられます。
寺には、正村がまだ玉若丸を名乗っていた時に父・水谷芳治持に従い初陣で武蔵国大串へ出陣した祭に勝利を収め、勝利の証しとして持ち帰った鐘「蟠龍の釣鐘」があります。(太平洋戦争の際に戦時提供され、現在は復元)


MAP(久下田城、かなりアバウト)



訪問日 2013.07.03

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