2013年7月24日水曜日

上泉城



場所 群馬県前橋市上泉町宿1168

さてさて、二回目の訪問になりました上泉城址!前回の訪問以上に上泉町内の盛り上がりはヒートアップしております。『上泉伊勢守』ドラマ化推進中でございます!!

戦国時代の赤城南麓の大半は大胡氏の所領となっていて、上泉城は大胡城の支城として築かれ大胡氏の一族である上泉氏が在城した。剣聖と言われた上泉信綱は永正5年(1508)にこの城で生まれたといわれる。


写真館

『本丸跡と二の丸跡』
群馬県指定史跡の上泉郷蔵辺りに本丸と二の丸跡があり、上泉町自治会館辺が本廓だという。
 



『西林寺』
 上泉城の一の廓と言われている場所で、上泉伊勢守菩提所がある。



『王泉寺』
上泉城の出城にあたる場所


『上泉伊勢守りフィーバー♪』
上泉町の盛り上がりの凄いこと!絶対にドラマ化していただきたいと思います。そうね、上泉伊勢守信綱さん、現代の役者で演じて頂きたいのは・・・誰ですか?昨年(2012)に伺った時には、木彫りの上泉信綱さんはなかったんですけど・・・





さて、これが凄いのですが、自治会館内に2ヶ所あるボタンをポチっと押すと、スピーカーから『剣聖・上泉伊勢守』の曲が流れます!うぉぉぉぉぃ?とかなりビックリします!町内会の皆様は、チッ!また誰か押しやがったな?等とお怒りになられないのでしょうか?しかし、歌まであるのですから、凄いですよ。上泉伊勢守信綱さん・・・


さて、youtubeにありましたので、是非お聴きください。『剣聖・上泉伊勢守』


MAP


訪問日 2013.07.20

2013年7月23日火曜日

戸祭城



場所 栃木県宇都宮市戸祭元町

宇都宮景綱(宇都宮氏7代当主)の弟の子が戸祭氏を名乗りこの地に城を築いたとされる。築城時期は、宇都宮景綱が鎌倉中期に生きた人物であるために鎌倉中期と思われる。また、城跡のすぐ東には祥雲寺には、戸祭備前守の墓が残っている。

城址の石碑であるが、非常に見つかりづらい!建物と同化してしまっており、本当に見つからない・・・一旦諦めようかと思ったのだが諦めきれず、栃木の城+αの管理人の九鬼くんに助けてくれー!の連絡をとり、何とか見つけることができた。ありがとう九鬼くん!

さて、こんな超マイナーな城であるが、ある小説に登場している。戸祭氏も役として登場しており、主人公はこれまた超マイナーな赤井照景(もとは館林の武将)です。 これの小説が面白く自分は好きなので紹介させて頂きます。島遼伍『下野落城物語』興味ある人は是非読んでみてください。


写真館 



祥雲寺にある戸祭備前守の墓


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訪問日 2013.07.22

2013年7月22日月曜日

荒子の砦



場所 群馬県前橋市荒子町字舞台

たまたま、焼きまんじゅうを千福さんという食堂に食べに行ったのですが、帰りに、むむっなんか怪しいと相棒が言ってくれたので、ちょっと立ち寄ってみたら砦址でございました。相棒すごい!
県道74号線に接しており、県道より5m程高い崖端部に築かれています。東西80m、南北120mの単廓であったようです。築城年数、築城者に関しては不明であり、遺構も残っていない。

写真館



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訪問日 2013.05.18

2013年7月20日土曜日

細谷館



場所 群馬県邑楽郡邑楽町字篠塚字坪屋地内

別名 右馬助館

南北朝時代 正平2年(1347年)に新田氏の一族である細谷右馬助秀国が築城したと言われている。秀国は新田義貞に従い各地に転戦し戦功をあげたそうである。その後、9代・義長が天正18年(1590)に帰農し廃城となった。 豊臣秀吉の北条攻めによるものかと思われるが・・・

県道沿いに塁濠が残されていています!

写真館


MAP(超ざっくり!)



訪問日 2013.04.07


2013年7月19日金曜日

台源氏館



場所 群馬県太田市由良字北の庄

この館跡は、居館跡の土塁の一部を整備して昭和13年(1938)8月26日に、二基の石碑が建てられ新田義貞の生誕の地とされたものであるが、実際には、反町館説、世良田新田館(総持寺)説、榛名里見郷説があり不詳な所が多い。

居館跡の周辺には、新田家累代の墓がある円福寺、新田義興の墓のある威光寺、新田義貞の弟である脇屋義助の遺髪塚のある脇屋正法寺などがあります。

写真館


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訪問日 2013.07.08


2013年7月18日木曜日

箕輪城



場所 栃木県下野市箕輪

箕輪城といえば上州の箕輪城のイメージが強いのですが、なんと!!!隣国下野国にも箕輪城がありましたとさっ!場所は下野市で旧国分寺になります。

城跡は、南北72m・東西90mの回字形の地形です。西南端には同じく土塁の跡を残しており山地築城と思われま す。築城前の時代は、宇都宮・多功・小山に武将がおり、当時、国分寺一帯は、小山高朝公の所有地であり、寛正3年(1462年)10月初めに箕輪城を築い たと言われております。正式な記録はないが、箕輪城の落城は、永禄元年(1558年)5月初めのころです。よって、この地域では、5月の節句には鯉のぼりを上げない習慣があります。 栃木県 環境庁

写真館




MAP



訪問日 2013.02.09

2013年7月16日火曜日

山川氏館



場所 茨城県結城市大字上山川

別名 東持寺館

仕事で茨城県を回っていた際に見つけました。単なるお寺さんだと思っていたんですが、案内板を見てビックリの居館跡でした。おおぅ、嬉しい♪土塁や堀が見事に東持寺を囲って遺構が残っているので結構楽しめます。梅林もありますので、梅の時期に城攻めするのもオツかもしれませんね。

山川氏は、結城氏の初代・朝光の三男として生まれ、分家して山河氏を興し、現在の東持寺の場所に館を構えました。中世の結城郡は、北半分を結城氏が治め、南半分を山河氏が治めていたそうで、山河氏は結城氏の家臣というわけでなく独立した存在で鎌倉幕府にも御家人として使えていたそうです。

戦国時代の永禄8年(1565)に14代・山川駿河守重氏は、山河沼の東岸に綾戸城を築いて移り住んだと言われています。その後、16代・讃岐守朝重が結城秀康に従い越前福井に移ってからは江戸幕府の直轄領となった。

写真館 






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訪問日 2013.07.08