2018年1月2日火曜日

栗橋城



場所 茨城県猿島郡五霞町元栗橋

築城年数 不明

築城者 不明

権現堂川を掘った事により、茨城県五霞町元栗橋と埼玉県久喜市栗橋の2つに分かれてしまった城跡です。埼玉県側の遺構は残っておらず、茨城県側の遺構はかなり良好に残されています。城跡へは法宣寺でナビればたどり着きます。法宣寺の付近を探索すると新しい説明版がありますし、説明板の正面に松本氏宅があり、松本氏宅には栗橋城の遺構が状態良く残されているようですが、私が訪問したのは年の瀬12月30日であった為、見学の声かけは忙しいであろうから諦めました。

ゆるく歴史を...
5代鎌倉公方(幕府が東国支配の為に置いた鎌倉府の長)足利成氏の時代に関東の内乱である享徳の乱が起こり、その際に成氏は鎌倉を放棄し、古河へ移り初代古河公方となります。鎌倉公方の重臣で古河城主であった野田氏は栗橋城へ移り、古河公方の重臣として足利成氏を支えることになります。

永禄年間(1557~1570)野田景範が城主の時に後北条に接収され、北条氏政の弟北条氏照が一時城主となり後北条氏における北関東攻略拠点となっています。権現堂川の水運が重要だったんだなっ!

豊臣秀吉による小田原征伐が終わり、徳川家康が関東に入封後されると古河藩主として家康の嫡男信康の娘婿小笠原秀政が3万石で入封されますが、古河城が荒廃していた為、修復する間栗橋城を居城としていましたが古河城の修復が終わると廃城となった。

写真館
正面は松本氏宅 良好な遺構があるという。
空堀
城址に残る法宣寺
栗橋城を権現川側から

MAP






訪問日 2017.12.30

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